ウズベキスタンの首都タシュケント / Toshkent

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歴史的なオアシス都市タシュケント / Toshkent

中央アジアに位置するウズベキスタンの首都、タシュケントはウズベキスタン北東部、シルダリア川の支流であるチルチク川の流域に位置する歴史的なオアシス都市です。

都市名はテュルク語で「石の町」という意味で、現代ウズベク語表記は Toshkent、ロシア語表記はТашкент (Tashkent)。ペルシア語表記ではتاشكند (Tāshkand)。日本語ではタシケントと表記されることも多いですね。

古くは国際交易で中国にまで名を知られ、『後漢書』以来、石国と呼ばれていました。また「チャーチュ」の音写として「者舌」(『魏書』)や隋唐時代の「柘支」、玄奘三蔵の『大唐西域記』では「赭時」と書かれていました。ソグド人が中国地域で用いた一字姓では、チャーチュ出身者は「石」姓を名乗っていたそうです。

その後、さまざまなイスラム王朝と北方の遊牧民の支配を経て次第に都市住民のイスラム化・テュルク化が進展。サーマーン朝時代にはBinkathとも呼ばれました。

13世紀にはモンゴル帝国に征服され、モンゴル帝国時代にはペルシア語の「チャーチュ」やアラビア語の「シャーシュ」で呼ばれるのが一般的だったようですが、ムガル朝の始祖バーブルは自伝『バーブル・ナーマ』で「タシュケンドは書物には“シャーシュ”または“チャーチュ”と書かれて」いると述べており、彼が中央アジアで活躍した16世紀頃には既に「タシュケント」の方がティムール朝の王族たちなどではより一般化していたらしいことが伺えます。

Madrasa Barakhon, Tashkent, Uzbekistan
Creative Commons License photo credit: iz4aks

ティムール朝の衰亡後、北からウズベク人が侵入し、ウズベク3ハン国と呼ばれるブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国を立てます。これらは19世紀に北からのロシア帝国に征服され、ロシア革命後はソビエト連邦下の共和国となり、その後ソビエト共産党政府の統治下に入り、ウズベク・ソビエト社会主義共和国となった経緯があります。

その後、1991年のソ連崩壊によってウズベク・ソビエト社会主義共和国はウズベキスタンとして独立。タシュケントはトルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の首都となり、1924年にはウズベク・ソビエト社会主義共和国に編入され、1930年、サマルカンドに代わって首都となりました。

1966年4月26日にあたりは大地震に見舞われ、78000棟の家屋が倒壊。地震後、計画的な都市作りが行われた。そのため非常にソ連的な町並みとなり、最盛期にはソ連で4番目の人口を誇る大都市に成長しました。

独立後の今日でも大きなロシア人社会を抱えているが、町並みからロシア色は消えつつあり、イスラム原理主義の動きも出ている。

さて、ウズベキスタンは国境を最低2回超えないと海に達することができない、いわゆる「二重内陸国」の一つです。気候区分では地中海性気候に属し、夏は7月の平均気温が27.8℃で、最高気温は40度に達する日も多く、暑さと乾燥が厳しい。

一方、冬は雨が多く、1月の平均気温は0.9℃で寒さもそれほど厳しくありません。年間平均気温は14.1度。年間総降水量は420mmです。

なお、ウズベキスタン公用語はウズベク語ですが、国民の14.2%の母語はロシア語であり、第二言語として約半数(2003年)の国民がロシア語を話しています。1992年、ウズベク語は1940年以前に使われていたラテン文字表記に戻されましたが、今でもキリル文字が主体です。

ウズベク人を初め、ウズベキスタンの多くの民族がイスラム教を信仰しますが、衣食に関する戒律は緩やかで、基本的に女性は頭髪や足首を隠しません。

Market in Tashkent, Uzbekistan
Creative Commons License photo credit: iz4aks

タシュケント / Toshkentの詳細地図

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